現在当クリニックは徐々にですが、
他の病院やクリニックとの間で
技術や知識の向上、情報共有のため連携を模索しております。
災害時にも役に立つことでもあり
電気・ガス・水道などの日常的に使用するライフライン(命綱)が遮断された場合を想定し、どの様に連携し連絡をとるか?
になってくるかと思います。
また交通網なども全て遮断されると予測するのが賢明です。
理解しやすいと思いますので(同様の被災者になって欲しくない)
⬇︎今回語り部にて⬇︎
実際私自身が東日本大震災で被災(茨城県大洗町出身)した経験をお話し致します。
たまたま当時帰省していた時の出来事です。
台風や津波(それ相応の被害はある)と違って
巨大地震の場合…
いつどこで起こるか予測が出来ない
そのため…突然
ライフライン全てが遮断。
この話は山間部も例外ではなく、地滑りや地割れ、ダムの決壊や川の氾濫も予測されます。
更に沿岸部の場合…
実家が海まで徒歩5分のため、津波が家の目の前まで襲ってきたのが
鮮明に覚えています。
幸い家ごと飲み込まれずに済みましたが…
震災時テレビや棚、食器が飛びだし落下してきました。
家も亀裂が入り半壊状態
更には実家の裏にある山が地鳴りと共に
崩れ始め家に被さりかけ
慌てて寝たきりであった祖母を担ぎ足早に車に乗せました。
この時気になる点が…
両親や兄弟が仕事に出かけていたため、家族に不安を抱えたまま
とりあえず避難所(旧大貫小学校体育館)へ出発しました。無事なのか…?
しかし…
いつもの道のりを車で5分ほど掛かる道のりが
約1時間
なぜか?
道路自体が地震の影響で
地盤沈下や地割れ、水道管破裂、コンクリート盛り上がり通行遮断
また地域には木造住宅が多かったため、それらが倒壊し道を塞いでいました。
もう一つの道は余震が続く、
沿岸部の道…津波が襲ってくる(実際サイレンがなり何発もくる)のを予測し普段使わない道(獣道みたいな)を確かめ、
進行しながら
やっと辿り着きました。
そこには
人人人…の長蛇の列が並び、
普段誰もが生きている間経験する事がないだろうと思っていた思い込みが
いきなり目の前で起き、予測出来なかったら…
ごった返し体育館の場所の取り合いで揉めまくる
光景を目の当たり…
皆んな虚ろな目で疲労困ぱい状態。
でも、人を見て少し「ほっ」と安心した自分がいました。
しかし第一の不安は家族…祖母に車に待機するように話し
体育館を隈なく捜索
どこにも居ない。
体育館の掲示板をいくら見ても記入されていませんでした。
安否確認が出来なく、不安で仕方なく一時落胆しました。
また捜索の際に、配給用カンパンと水(500ml)を渡されたので
祖母に元気づけて貰おうと車に持って帰り、結果を話した所。
「大丈夫、大丈夫」
自営業(会社経営)で毎日働き詰めになり、脳梗塞を患い寝たきりになった祖母の言葉…
とりあえず目の前の人を守らなくては。と思い。
ごった返す体育館内を諦め
避難所駐車場での車中泊を余儀なくされました。
3.11
あの日は、冬に近く凄く寒く暖房が欠かせない。
私は我慢し
祖母のみ支給された毛布に包み、エンジンを掛けっ放しにし暖房で室内を温め
夜、体育館が羨ましく思えた日でもありました。
臨床工学技士 阿部
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